子は親の鏡と言うが、ほんとだろうか?それなら我社の松井課長は???

松井課長の父「松井 求」氏朝日新聞夕刊社会面の3分の1を占有して紹介さる!

以下は2001年3月24日朝日新聞夕刊から転載、

宿願学成る!69歳の春

結核で早大中退、海産物問屋を定年後・・妻説き伏せ単身上京。

25日、入学後五十一年ぶりに早稲田大学を卒業する学生がいる。
政経学部経済学科四年の松井求さん(69)。
1950年に入学したが四年目に病気で中退し、北海道鵡川町の海産物問屋で働いた。
定年退職して七年たった一昨年4月、妻と子供たちを説き伏せて母校で再び学び始めた。
4月から大学院修士課程で農業経済を専攻する。

松井さんは99年春、早大政経学部の「科目等履修生」になった。
香川県内の高校を出て、同学部に入って以来だった。
授業に出席すると、年齢を忘れた。
最前列で講義を聴きノートを取った。教授と論争した。
「経済」は半世紀近くにわたって実践してきた自負がある。
先物取引の体験を例に取り自説を述べたり、年金給者の立場から実情を語ったりした。
熱っぽい論議が続いた授業の後、黒板の字を消して退室した。
教授が板書した内容を確認し、勉強ができる感謝をこめた作業だった。

そんな松井さんの熱心さに感動した堀口賢治政経学部長(58)=61年入学=
が昨年春、教授会に松井さんの再入学許可を求めた。
既に全教授が松井さんを知っていて、特例の復学は数分間で決まった。
そして再入学後の成績はすべて「優」。

机を並べた同じゼミの小倉宏子さん(22)=98年入学=が言う。
「松井さんと堀口先生が議論を始めると、私たちは歯が立たなかった。
先生が二人いるようでした」

松井さんは53年、4年生で結核を患い、北海道鵡川町の叔父宅に転地した。
1年で快復したが、復学を断念して叔父の海産物問屋で働き、鵡川町に落ち着いた。
シシャモやホッケを全国的に売り出すなどして活躍した。
恵美子さんと結婚して四人の子に恵まれ、仕事では取締役経理部長にまでなった。
鵡川町は人工七千人余りの小さな町。
青春時代に挫折した自分を支えてくれた「第二の故郷」という思いがある。
定年退職とともに町の社会協議福祉会長や町行政改革推進委員長などの仕事が持ち込まれた。
二十余りあったが町への恩返しと思い、引き受けた。

五年間務めて初めて、鵡川町に住んで以来の思いを家族に打ち明けた。
「もう一度勉強したい。やり残しているんだ・・・・・・」
四人の子は、驚く恵美子さんに言った。
「お父さんの可能性を摘んじゃ可哀想。したい勉強をさせたらいいじゃない」
恵美子さんは折れた。
生活費を年180万円の年金でまかなうこと、毎朝6時に電話で声を聞かせることを約束させた。

23日、卒業式にいっしょに出席恵美子さんも上京した。
大学院に進めば、さらに2年間も離ればなれになる。
「鵡川町の女性は大部分『奥さんは偉い。私なら認めない』と言います。
私だって心細いですが、後悔してほしくないんです」

奥島孝康総長(61)=59年入学=は、
25日の全学合同卒業式で松井さんと恵美子さんを紹介する。
「再入学を政経学部教授会決定は、私の在任六年間で一番の快挙。うれしかった。
松井さんのような方が十年に一人おられたら、早稲田もたいした大学ですがねえ」

同級生ら「祝・卒業」
やりましたか。高校の陸上部仲間で当時からすごい男でした。
北海道に行ってからも交流を続けていましたが、去年の秋だったか、
「早稲田で勉強し直しているんだ」と初めて聞きました。
敬服しました。いやあ、すごい。
(香川県立三本松高校以来の親友で日本陸上競技連盟副会長の帖佐寛章さん(70))

病気でやめた後、これだけ時間を置いて卒業するとはすごい。
大学院へも行くんですって?見習うべきですよねえ。
ぼくもみんなといっしょには卒業できず、秋の追試で卒業したんです。
心からおめでとうと言っている、と伝えてください。
(同じ年に入学し同じ学部で学んだオペラ歌手の岡村喬生さん(69))

なお、新聞には写真も大きく掲載されています